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新書道 ~Misuzu-ism~

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シシリアン・BS

シシリアン

今日も激暑でしたね~~~~~~

午後のひと休みにと思って、BSハイビジョンで1969年のフランス映画「シシリアン」を見た。

部屋を思いっきり涼しく、暗めにして映画鑑賞タイム。。。

最後まで見る予定ではなかったけど、 目が離せなくなり「これぞ映画!」とつぶやいていました。

とにかく映像が美しく、俳優も美しく、画面から放たれるこの落ち着いた感覚は何か?と自問してみたら「腑に落ちる」ということだと気付いた。

「腑に落ちる」ということは、真に納得する、納得させられるということなのだと思う。

以前、「天井桟敷の人々」を見た時、フランス映画の芸術性を思い知らされた。正直、敵わないと思った。

映像のダイナミックさ、表情の繊細さ、配色の美しさ。。。


アラン・ドロンは綺麗だった!

子供のころ、おませの妹と「スクリーン」という映画雑誌を毎月購入し、ワクワクしながら美しい俳優、女優、車、ファッションに見入っていた。

アラン・ドロンの事を「こんな綺麗な顔ってないよね」って見とれていた。

「太陽がいっぱい」を見た時もそうだったけど、フランス映画の終わり方って画面の余韻がそのまま印象付けられますねー。


彼の不幸ですさんだ生い立ちと映画の中で見せる美しく繊細な表現が、世界中の映画ファンの心の「点」に、響鳴したのかもしれない。

貴重な今日の午後だったけど、「これが映画っていうものよ!」と感銘を受けました。


フランス映画の芸術性は、歴史と文化から発生していて、あのシーーーーーン とした画面・映像はやっぱり「本物」だと思う。


なんでもハイテクの今の時代、本物を見分ける目を持ちたいと思う。

それにしても「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンは、音楽と共に、ため息が出るほど美しい!

  (感動してます)

小阪美鈴オフィシャルHP


追記

シシリアンを見て、いろいろ思いを巡らせていたら、あることに気が付きました。

今、漱石の「草枕」を研究しているんだけど、「シシリアン」と共通項があると思います。

「草枕」も「シシリアン」もストーリーは単純なんだけど、

「草枕」で言えば、漱石は豊富で多彩な知識から語彙を多用して、文化論、芸術論を孕ませて小説にしており、
「シシリアン」は、美しい映像画面と魅力的な俳優陣、音楽等により、隙のない完璧な作品になっていると思う。

小説、映画等のジャンル、洋の東西を問わず、芸術作品とは人の心に届く美しさ、深さを内蔵しているものだと改めて確信した。
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by shobirei | 2010-08-17 18:47 | Comments(0)

激暑と避暑

激暑ですね~
連日の湿度と気温の高さにかなりうんざりしています。

去年流行を先取りして「熱中症」に罹りました(ー_ー)!!
友人は「流石に美鈴は流行に敏感だわ!」と妙なコメントを(-。-)y-゜゜゜

思い出してもしんどかったああ。。。。。

体温低めの私も38℃近く発熱(;一_一)

ひたすらポカリスエットのお世話になりました。

それでも一晩寝ると50%は回復してたと思う・

そんな訳でだいたい「あぶないかも????」って自覚できるみたい。。。

今年は夏バテだけど「熱中症」には、なってません!

友人のEさんは9月まで北海道暮らし。

わたしも考えなくっちゃ!
書道具一式携えて逃暑行。。。。。。

毎日やりたい事、やらなけらばならない事満載φ(..)

昨日8日に「花と爆弾」の著者小橋かおるさんが、拙書を受け取りに来られた>

アフガニスタンの子供たちに愛を届けておられる。
歌人でもあるかおるさんの短歌を数年前のチャリティーにと書き認めた作品である。

拙書がお役に立てるなら、書の使命として誇りに思う。

かおるさんがブログで書いておられるので、訪問してくださいね。


今、漱石の「草枕」を読んでいます。

漱石の思慮、哲学性、芸術性等、難解な言葉の羅列で表され、私の理解の及ぶ処ではないのですが、「人間 漱石」の魅力が詰まっていると感じています。

私は、漱石が難しい文章表現を駆使していて、「まあ、こんなにこ難しい表現を・・・・」と思いながらも その文字から彼のユーモア性が浮かびあがって来て、心の底から ニンマリしてしまうのです。

きっと、彼は「この世」の事象というものを、文章にすることに因って、客観的に捉えているからだと思う。

上から、下から、斜めから、捻ってみたり、そんな捉え方をする漱石の「心の空・KUU」を感じている、今日この頃であります!

茶道に関する面白い文があるので紹介しますね。

茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人程勿体振った風流人はいない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのにきつ躬如として、あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。(省略)
あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当が付かぬ所から、器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、これで大方風流なんだろう、と却って真の風流人を馬鹿にする為めの芸である。(以下 略)

ちょっと痛快でしょー。。。

私も高校生になった時に母に 茶道、華道を習わされた。
自宅の和室には、母の希望で作った炉があって、以後、断片的にお稽古に通っていたけれど、確かに漱石の考えに!と納得する自分が居る。

ただ、日本人としての所作の美しさ、空間感性を身に付けるのに、習ってみて損はないと思う。
社会に出て、色んな場面に遭遇した時、凛とした自分の所作の取りようが出来ると思う。


ドイツ人一家の肖像
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SAKURA
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漱石・倫敦塔 (ロンドン・ピーター・オーエン社出版)
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小阪美鈴
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by shobirei | 2010-08-09 23:30 | 神戸の女流書家