2009年 08月 30日
(3) 追悼・母へ
生前は、マメに誕生日プレゼントをする訳でもなく、自分の親不孝を今更ながらに、 「もっと、キチンとしておけば良かった」 と懺悔の念を覚える。
死んでからでは遅い!とわかりつつも実家へ行った。
運転しながら「私を産んだ母が生まれた日」に思いが翔んだが、「遠い奥へつながる細くて長い道」 のように思われた。
こうして「命」は続いていくのですね。
一人で両親を祀ることになった妹が、母の好物だった「竹虎」の上巻寿司、レンコン、ナス、リンゴ、出汁昆布などを祭壇に供えていた。
父と建てた家の和室は、八畳・六畳の回り廊下になっていて、「炉」がきられていた。
父は幼少の頃の屋敷を再現したかったのだと思う。
お気に入りの「我が家」から旅立てて良かったね。
大切な人、かけがえのない人が、当たり前に身近にいると思い込んでいることの傲慢さ・・・・・
母はいつも当たり前に存在していると、何の不安も持っていなかった。 この馬鹿さ加減・・・・・
人、否、私は、「当たり前」と、タカをくくりすぎていたと思う。
母がこの世からいなくなるまで、ある意味「ノーテンキ」に暮らしてきたのかも知れない・・・・・
書活動でいつも「忙しく」している私に母はいつも、「いい加減にしなさいよ、体をこわしたらアカンよ・」
と気遣ってくれた。
いつだったか、私の体調が良くない時、母は教室に付き添ってくれた。その時母は、教室の隅で本を読みながら時間を過ごしていた。
若い頃は短歌にも親しんだらしい。
亡くなる数日前まで、日記をつける人だった。
8月29日、ひと月の休暇後、初めての書道教室の帰りに、御影のなだ番に寄った。
「なだ番」は、東京ミッドタウンの超有名店「HAL YAMASITA東京」のルーツ店である。
この日も2F,3Fとも満席であった。
HALさんのお母様であるR子さんが、温かく迎えてくださった。
母の死を伝えると、涙ぐんでくださり 「やっと一人前やね」と言った。
「やっと一人前・・・・」 涙が溢れた。
この言葉に救われた・・・・・そんなとらえ方もあるんだ・・
そう、「やっと一人前」なのだ・・・・・ そうかも知れないと思った。
美しいR子さんに「生きて来られた深さ」を感じた。
帰路、向かい風に吹かれながら 「やっと一人前・・・」 と何だか前向きな気持ちになれたと思う。
「やっと一人前」 ・・・・・いい言葉ですね。
身近な人を失って、「やっと一人前」
精一杯、楽しく生きて行くよ!
小阪美鈴オフィシャルHP