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光を孕む書道 ~Misuzu-ism~

(3) 追悼・母へ

8月28日は、母の誕生日だった。

生前は、マメに誕生日プレゼントをする訳でもなく、
自分の親不孝を今更ながらに、 「もっと、キチンとしておけば良かった」 と懺悔の念を覚える。

死んでからでは遅いわ!と、
自分の情けなさを悔いた。



実家へ向かうその日は、青い夏空だった。

運転しながら
「私を産んだ母が生まれた日」を
考える自分がいた。


母の誕生日に
思いを馳せた事があっただろうか・・・

自分のやりたい事ばかりに夢中になってきた~

「親」って

ありがたい・・・


焦点のない、
「生・の深遠・命」の幽玄、もや、かすみ

何故か
漱石の「草枕」の世界のようだわ
と、思う



一人で両親を祀ることになった妹が、

母の好物だった「竹虎」の上巻寿司、レンコン、ナス、リンゴ、出汁昆布などを祭壇に供えていた。

食に関して、

母はこだわりが強いと言うか、ちょっとヘンクツな処があった。
今で言う「食の安全」とも違うかなぁ~

お肉は食べないし~

おやつは基本「手作り」だったねと、
妹と母を偲んでいる。



父と建てた家の和室は、
八畳・六畳の回り廊下になっていて、「炉」がきられていた。

父は幼少の頃の思いの詰まった
武家屋敷を再現したかったのだと思う。

お気に入りの「我が家」から旅立てて良かったね。


大切な人、かけがえのない人が、当たり前に身近にいると思い込んでいることの傲慢さ・・・・・

母はいつも当たり前に存在していると、何の不安も持っていなかった。  この馬鹿さ加減・・・・・


人、否、私は、「当たり前」と、タカをくくりすぎていたと思う。

母がこの世からいなくなるまで、ある意味「ノーテンキ」に何不自由なく、甘え放題で暮らしてきたのかも知れない・・・・・


書活動でいつも「忙しく」している私に母はいつも、
「いい加減にしなさいよ、体をこわしたらアカンよ・」
と気遣ってくれた。

いつだったか、私の体調が良くない時、母は教室に付き添ってくれた。
その時母は、教室の隅で本を読みながら時間を過ごしていた。
そんな母だった。


若い頃は短歌にも親しんだらしい。
亡くなる数日前までの日記も遺されている。


8月29日、ひと月の休暇後、初めての書道教室の帰りに、御影のなだ番に寄った。

「なだ番」は、東京ミッドタウンの超有名店「HAL YAMASHITA 東京」のルーツ店である。
この日も2F,3Fとも満席であった。

HALさんのお母様であるR子さんが、温かく迎えてくださった。

母の死を伝えると、涙ぐんでくださり 
「やっと一人前やね」と言った。

「やっと一人前・・・・」  涙が溢れた。

この言葉に救われた・・・・・そんなとらえ方もあるんだ・・

そう、「やっと一人前」なのだ・・・・・ そうかも知れないと思った。

美しいR子さんに「生きる」を私なりに感じた。


帰路、向かい風に吹かれながら 「やっと一人前・・・」  と

何だか前向きな気持ちになれたと思う。    


「やっと一人前」 ・・・・・いい言葉ですね。  

身近な人を失って、「やっと一人前」

精一杯、楽しく生きて行くよ!
すべてに感謝 🌠


by shobirei | 2009-08-30 01:55 | 神戸の女流書家 | Comments(0)