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新書道 ~Misuzu-ism~

The Soseki Series of Kosaka Misuzu by Damian Flanaga
(p.185- 190)  ダミアン・フラナガン氏による書家小阪美鈴の漱石シリーズ
(The Three-Cornerd World by Natusme Soseki by Peter Owen
Translated from Japanese Kusamakura, 2011
ISBN 978-07206-1357-5

ダミアン・フラナガ氏による書家小阪美鈴の漱石シリーズ  (p.185- 190)
「草枕」はピーター・オーエン社が2005年に夏目漱石の作品を世界に再び紹介して以来4番目の本であり、この作品は日本の神戸在住の書家である小阪美鈴氏の芸術作品(表紙の日本語の表題及び裏表紙の前衛的な題字)によって、さらに魅力を増すことになった。今回のプロジェクトは、漱石シリーズというすばらしい芸術作品のシリーズを世に生み出すことになり、その芸術的な価値は世の中に広く認められているものである。
私は2002年、神戸に数か月住んでいたことがあるが、その時に神戸クラブ(神戸にある外国人協会)で書道教室の広告を見た。その書道教室はかなり気品に満ち、伝統的なものに思われた。その際、ある翻訳者が私に女性書家を紹介してくれた。彼女は着物を着て、控えめでとても素直な人物に思われた。彼女はユーモアのセンスがあり、優しく微笑んでおられた。それでも、彼女が芸術作品としての書を書き始めると、彼女が普通の書道教室で習う習字とは全く異なる何かを独創的に創り出す芸術家だと直観した。彼女の書は伝統的で形式的な書道の流れに支配されることなく、個性的な創造性と自由な表現力に満ちていた。小阪美鈴氏の書は好奇、歪み、象徴に満ちた現代芸術そのものであった。彼女はそれらの深い意味を表象するために、まるで奇跡のごとく書を描いていた。
 その当時、ロンドンの漱石について書いた私の著書がほどなく出版される予定であった。出版社はロンドン塔の夢のようなイメージと日本語の「倫敦塔」という漢字を使った表紙を準備しようとしていた。残念なことに、私でさえ、この出版社の準備した漢字は通り一遍で、どことなくぎこちなく書かれたもののように思われた。そこで私はもっと優れた書が必要だと考え、小阪美鈴氏にお願いするために神戸市の北にある彼女のマンションを訪ねた。
 私は書に対する知識がないために、軽薄にも私はそのマンションで、しばらく待っている間に、小阪美鈴氏がその場で依頼通りの書を完成してくれて、お返しにささやかなプレゼントを渡せたらそれで十分だと考えていた。しかし、マンションの応接室では、何杯もお茶のおかわりをいただきながらも、長い沈黙が続いた。その気まずさの中で、私は初めて、私の依頼に対して小阪美鈴氏が数週間以上かけて手がける書に対する使命(ミッション)を真剣に考えていることに気づいた。「倫敦塔」という三つの漢字を完成させるのに、大変な時間がかかることなど、考えも及ばなかった。そこで、私はすべてを彼女に任せて、その夏は英国の私の故郷に戻ることにした。
 何週間も過ぎてから、英国の自宅の郵便受けに小阪美鈴氏からの書が届いた。私は依頼した漢字の4つのバージョンを目にすることになった。最初の三つのバージョンはどれもかなり一般的な書体であった。しかし四つ目の書は全く異なったものだった。その書は三つの漢字がロンドン塔のあの暗く象徴的なイメージに見事に変容され、芸術そのものであった。
 漱石の小説では、ロンドン塔の中で処刑の日を待っている囚人達によって壁に残された碑文が描かれている。今、小阪美鈴氏の書いた「倫敦塔」という三文字の中に、そのすべてが写実的に見えてくる。それはまさに、城門の鬼戸、絞首台、すべての拷問の道具、十字架などが氏の書を通して見えてくるのだ。これらの三文字の内部にロンドン塔のすべての恐怖が表現されているのだ。
 私は小阪美鈴氏の書のスタイルが本当に独創的なものかどうかは、専門家でないのでよく理解できていない。しかしながら、小阪美鈴氏が芸術的に描いた三文字に深く魅了され、この書を出版される本の表紙に使用したいと強く思った。しかしながら、同時に、この芸術的な倫敦塔という書は表紙の本来の目的にぴったりと合わないのではないかと思った。そこで、私達は氏の書いた書の中の二つのバージョンを用いることに決定した。すなわち、きわめて美しく描かれているのだが、より標準的な書を表紙に、そして、倫敦塔の象徴的な表象というべき書を内表紙に用いることにしたのだ。
 漱石の「こころ」と「門」の英訳版が新たな批評文の序論と共に出版されることになり、小阪美鈴氏の書いた芸術的な書を表紙や表題に使用することは非常に素晴らし考えに思われた。毎回のことであるが、小阪美鈴氏が一体どのようなタイプの芸術作品を創作するのか心待ちにしていた。
 私は「門」のように単純な漢字を小阪美鈴氏が描く時に、いかに興味深い作品を創作するのか想像できなかった。しかしながら、彼女は表題に載せる書において、「門」という本の主題や雰囲気を表現することを十二分に理解していた。氏の描いた「門」は漢字の左右の文字が、まるでじっとお互いに見つめ合う男と女の顔のようであった。その二つの文字は、本来は一つの漢字を構成する二つの異なった部分であったが、それはまるで、「門」という小説の中の主人公である御米と宗助夫婦が、毎晩火鉢を囲んで座り、お互いに見つめ合っている夫婦の姿そのものであった。小阪美鈴氏の描いた「門」という字をよく観察すると、何となく湯鬱でいて、微妙に親密であり、一組の男女が互いに無言で見つめ合っている。氏の描いた「門」という書はまさに、小説「門」の雰囲気を巧みに表象していた。
 「こころ」を小阪美鈴氏が手掛ける時、その仕事は一層困難に思われた。なぜなら、小阪美鈴氏は表意文字である漢字ではなく、つづられる字からは全く意味内容を持たない表音文字である「ひらがな」の三文字で描くように依頼されていたからだ。通常は「こころ」という文字は日本語では縦に(垂直に)書かれるが、小阪美鈴氏は、その「こころ」という三文字を、小説「こころ」の人間関係と関連させ、より深く小説の主題を把握することで、三文字全体のバランスとその意味内容の深さ、複雑さを新たな書として創造したのだ。
 小阪美鈴氏の書いた「こころ」の文字の一番上に「こ」という二つの類似した線のような文字が描かれている。それはまるで、二人の若者がお互いに競い、何かを求愛して激しく競い合っている様だ。二番目の「こ」という文字は、上から見ると、まるで男性の精子が女性の卵子を求めて、突進するようであり、これらの二つの文字は、まさに小説「こころ」の中で、男性ホルモンに満ち溢れた二人の若い主人公(若い先生と彼の親友のK)を表象している。
 先生とKは、同郷の出身であり、全く同世代の親友であったが、その親友二人が「静」という女性の魔力、すなわち、最終的には先生の妻になる静という第三者の男性の友情関係への侵入によって、男同士が憎み合うライバルになってしまうのだ。小阪美鈴氏の「こころ」の芸術的な表象において、二番目の「こ」という文字の下の線が溢れ出す若い精子のようであり、それが、一番下の「ろ」という文字の長く引っ張られた割れ目(子宮)の中へ巻き込まれているようで、まるで男性を魅了するヒロインの体内で、静かに停滞しているようだ。そして、「こころ」という文字の細長く伸びる血の線は、Kの衝撃的な自殺、つまり、この小説の核心における暗い秘密を暗示しているのだ。
 そのような結果、次に小阪美鈴氏が作品「草枕」の新版に対しては、どのような書を創作するのかを早く見たくて、心待ちにしていた。結局、この「草枕」が漱石のすべての小説の中で、もっとも芸術的なものになった。それは言うまでもなく、小阪美鈴氏の生き生きとした想像力の賜物であり、私達の期待を裏切らない芸術作品になったのである。
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 「草枕」の表紙には、もちろん標準的な書が描かれており、「草」という最初の漢字の下半分は「枕」という漢字の中心に向かって、まっすぐに突き刺すように伸びている。小説の主たるイメージ、つまり、困難に陥るオフェーリアが人生の流れに逆らわず生きているイメージが上位の漢字「早」として、魂を呼び起こしている。つまり、「早」という文字は腕が一杯伸び、足と共に伸びていて、下の方に向かう流れの中で、下位の漢字「枕」にしっかり抱かれている。そして、上位の文字の冠は猛スピードで両側に解き放されている。皮肉なことにも、草冠のない漢字は(早さ)を示している。下位の漢字は、この逃げるような上位の漢字が上から突進して、それを受けているものだ。幸運にも、この漢字は「枕」を意味しており、漢字の両側は上から、受身の姿勢であり、V字型にまで開放されている。したがって、その漢字は崩れゆくオフェーリアをまさに掴もうとし、さらにオフェーリアが静かに地に着くのを支えているのであろうか。しかしながら、崩れゆくような書は下の文字の両側面を完全に両脇へ押して、突進し続けている。このようにして、草枕の芸術的な超越的な孤高は、湧き上がる感情の波を阻止するのに十分でないかもしれない。もし、このように表紙の書の意味の深淵さが存在するとしたら、表題の書はさらにどことなく形而上学的でより複雑なものになる。これはまさしく、書としての芸術の傑作です。 
 小阪美鈴という創作者の心の中で、芸術作品が形を作るのを観察することは、まるで日本の書の伝統が単なる暗喩の誕生から、芸術の巧みの技を発揮しながら変容する様を目の当たりにするようである。それはまるで、あのカンデインスキー、ミロ、そしてピカソなどが、光輝で、深淵でかつ斬新さのある何かを創造したことに通じる。
 さて私達は、意識の流れの交差する芸術的な書を小阪美鈴氏からとうとう頂戴することになった。その書において、同じ二つの漢字が限りない歪み、適応、進化を繰り返している。一定のすでに決められた方法で描かれるべき漢字を追及する日本の書道教室の伝統から、遥かに距離を置くような書はなかなか存在しないものだ。ところが、そのような伝統的な書とは全く異なり、小阪美鈴氏はそのような保守的でありきたりの本の表紙から開放された芸術を主張しているのだ。宇宙のすべての事象のように、すべての文字が、一定の与えられた時間内に小阪美鈴氏という観察者の独特な視点によって、どの瞬間にも再評価され、再び鑑賞されるのだ。小阪美鈴氏は、自らが創作した芸術的な書において、草枕の単なる漱石の視野でなく、漱石の文学理論の核心とも言える基本概念(無常観や即天去私)に向かって忠実に到達している。その漱石の文学理論によると、この世に起こる森羅万象とそれらが私達に影響を与える様は「無常」であり、絶え間ない変化なのだ。
 さらに、芸術家や私達すべての人間に宿る芸術的な資質は、恒常的に世の中のあらゆる事象を再構築し、想像力を掻き立て、記憶や夢そして独特の雰囲気を創り出すのだ。そして、その結果、世間の出来事とそれを見守る人々に関する内面的な真実を捕らえるような何かが生まれるのだ。もちろん、それは芸術作品が集合的な意識の流れへと導き出され、新たな無限の形式の中で再生される前にである。
 今、一人でなく、複数のオフェーリアが感傷的な意識の流れの中で登場し、それはまるで複数の草枕が存在しているようである。芸術作品は常に新たな読者、あるいは再考する者、新たな解釈を発見しながら、さらに、新たなインスピレーションを与えるのである。
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 最後に、英語翻「草枕」の裏表紙のすべての漢字群の最上部の右端にある空白ブランクは何を意味しているのであろうか。日本語は上から下へ、右から左へと読む。したがって、この空白部分は人生の最初の出発点である。小阪美鈴氏は、私達人間は空白で定義したり予測できない人生の出発点を各人が生まれながらにして持っていると語っているのだろうか。あるいは、彼女は、人間誰にも共通することだが、私達が芸術性と美を追求する際に、単なる常識に属する一角が常に失われている三角の世界に、私達も又同じように存在しているのだと言っているのだろうか。



2011.5月出版(The Three-Cornerd World by Natusme Soseki by Peter Owen)


小阪美鈴オフィシャルHP
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by shobirei | 2011-09-23 17:57 | 大震災 | Comments(0)

韓国家庭料理「宋」

今日は神戸・垂水でとっても人気の韓国家庭料理「宋」をご紹介します。

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愛子siiと私



オーナーの宋愛子さんは、私の書の温かい理解者です。

書家として知り合った6~7年前頃から「韓国料理のお店を出したい!」って、聞いていて、‘何年か後になるのだろーなー’と思っていたら「即!!!!!」でした。
ロゴ文字を書かせて戴きました。
今や、リピーターのお客が大半ですが、一度行けば、愛子さんのさっぱりしたお人柄とお料理の多彩さ・・・に誰もがリーピーターになるようです。

彼女は芸術系の大学出身で、絵が素晴らしいのですが、陶芸を池内先生に習って、「宋」のお店で出される食器は、すべて彼女製です。おまけに、ヴェネチアンガラスの教室にも通い、先生から、「弟子」にされたほど、いい感性を持っていると思います。
思いっきりのいい彼女が私は大好きなんです。

みなさん、是非行って愛子さんに会って、お料理をご賞味くださいね。

美味しすぎて写真を忘れるくらいです(ー_ー)!!

垂水区美山台2丁目15-1 tel 078-751-2080 駐車場3台分有
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by shobirei | 2011-09-23 17:27 | 女流書家 | Comments(0)